復興の狼煙は上がるのか!絶滅が危惧されるメタル文化への考察

メタル音楽はロック史に燦然と輝き、一つの時代を築いた音楽文化だ。

古くはHR/HM(ハードロック/ヘビーメタル)と表記され、時代の流れとともに様々な文化を生み出した。この令和の日本では既にメタル文化などは少数民族とも言われる程の衰退を見せている。

昔は日本でもX JAPANや聖飢魔Ⅱなどのメタルバンドが大衆に受け入れられ人気を博した。このように記述するとお前はおじさんだぞと言われそうだが、メタラー以外の人種で、今のメタルバンドをいくつ上げられるだろうか?

僕自身はメタルは好きであるがメタラーではないので、メタルバンドをあまり知らない。

僕らバンドマンのような楽器を弾いている人達でもぱっとすぐに思いつくバンドは3つか4つだ。実際にメタル文化は衰退したのか?

僕の偏見と考察を交えてメタルについて書いてみようと思う。

サウンドハウス

メタル衰退についての考察

メタルの衰退は一言で結論を出すべきではないが、1つ上げられるものとしては世間にメタルの文化が定着していない事にあるのかもしれない。

先ほども書いたが、昔の有名なバンドですとX JAPAN、聖飢魔Ⅱ、Loudnessなどが挙げられた。しかし現代ではお茶の間に受け入れられているバンドが少なくなってしまった。

原因の一つにメタルの細分化、エクストリーム化が進んでしまった事が上げられる。

NWOBHM、スピードメタル、スラッシュメタル、ドゥームメタル、ネオクラシカルメタル、パイレーツメタル、パワーメタル、デスメタル、ゴシックメタル、シンフォニックメタル、デスラッシュ、ブラックメタル、エクストリームメタル、インダストリアルメタル、オルタナティブメタル、グルーブメタル、ニューメタル、プログレッシブメタル、ジャーマンメタル、メロディックスピードメタル、メタルコア、デスコア、ジェント、etc……。

かるくWi○ipedeaで検索をしてもこれだけ見つかる。もっと細分化されるといってもいい。僕にはわからない。種類が多すぎる。

このように細分化が進み、演奏は激しいが、歌はキャッチーなバンドが減少してしまった。加えてメタル音楽は楽器のテクニックを重視するようになり、デスボイスの登場によって、メタル=デスボイスとの偏見などが進み、一般人は取っ付き難くなってしまった事が考えられる。

もっと簡単に言うとJPOPから離れていってしまったからである。

メタルとデスボイスの関係性を記しますと、デスボイスはメタルの主要な歌唱法の一つではありますが、デスボイスが無ければメタルではないは間違いである。メタルについて若い人などに聞くと高確率で、デスボイスで何を言っているのかわからないと言うことが多い(10代や20代の若い世代での検証)。つまり若い世代であればあるほどメタル=デスボイスの印象が強いと感じる。広く言えば、デスメタルの影響下にあるメタルバンドはデスボイスを使う傾向にあるだけであり、もともとはメタルの一つの流派である。

JPOPからの乖離が進んだと上記で書いたが、伝統的なJPOPはサビのメロディーが第一と考える文化があり、演奏はメロディの部分をいかによく見せるかに主眼が置かれる。それに対して、エクストリーム化したメタルは、歌のメロディと演奏の重要度のバランスが逆転していると考えられる。つまり、歌よりも演奏が重視される度合いがより高くなってしまった。このようなJPOP的な部分とメタル的な部分が音楽面で乖離する事により、結果としてメタルの枠組みに入る音楽が生まれづらくなった。

なぜ最初にX JAPANや聖飢魔Ⅱを例としてあげたのかはここで結論が出ますが、この2つのバンドは非常にキャッチーかつ、メタル的な要素をうまく取り入れる事が出来たので、大衆に聞かれるバンドとしての条件を満たしている事になる。

メタラーの生息域の減少。どこで活発な動きをみせているのか?

近年ではメタラーの生息域の減少が日本の各地で起きている。

メタラーなる生き物の存在は聞いたことがある人も少なくは無いと思うが、実際に目にする機会は減少傾向にある。

知り合いのメタラーにメタラーの活発な動きが見れる場所を聞いたところ『SNS』との回答が帰ってきた。

サウンドハウス

SNSとの親和性

メタルの醍醐味はやはり楽器演奏によるダイナミズム、身体の体験が一番に上げられると僕は思う。

わかり易く簡単に説明すると、ギターがデカイ音でギャンギャン鳴ってドラムがドコドコ、かっこいいね、サイコーだね。

これに尽きると思います。

現在日本で流行っている主要なSNSではプレイ動画の文化ができ、メタルファンはメタルを楽しむための欲求をSNSで代理的に満たせるようになった。

これは、メタルリスナーであってもプレイヤーにとってもである。

youtubeなどでもその文化は健在しているが、より簡略化されたSNSではこの傾向がさらに強くなる。

ここで記述するSNSとの親和性についてですが、条件としてはメタルを聞く人間は多くの場合、何らかの楽器を演奏できる可能性が高い事を条件とする。

つまるところ、楽器を演奏できる人間とSNSとの親和性をメタルに持ち込むのであれば、閉鎖的な空間で承認欲求を簡単に満たす事が出来る。

元々、人に聞かれる機会の少ないメタルであるならば、小さなコミュニティの中ではメタルという音楽がスタンダードとして罷り通るからである。

さらにメタラーはオタク的な性質がある。※ここでのオタク的性質は追求する姿勢とする。

メタルと呼ばれる音楽は高い演奏能力が求められるため、音楽的に演奏難易度はコピーバンドにしてもかなり上位に存在している。

難易度については様々ですが、曲の速さ、リズムの複雑さ、楽器演奏における過度なテクニックへのアプローチなどが上げられる。

これらを自身の楽器演奏スキルとして身につけるためには長時間の練習がどう足掻いても必要になってくる。

そうなると人と会う時間よりも楽器練習に時間を割く事になる。

SNSなどの閉じた人間関係ですと、オタクとしての閉鎖性が加速傾向にあると僕は考えている。

一般論ですとリアルの空間だと知らない人間もいるため、コミュニケーションは柔軟になるが、同じような空間だと内輪ノリになる。

SNS生活を侵食されるほど、一般層=非オタクは嫌悪感を抱いて離れていく。アングラ思考を進める限り、一般人との共通理解の差は開いていくばかりである。

ここでさらに消費者が減少する事になります。

メタルはメディアに殺された

メタルの衰退について第三の原因を強いてあげるのであれば、日本のメタル業界のジジイ達の保守的な姿勢が日本のメタルの新しい流れを拒絶している部分は少なからずあると考える。

BU○RN!の表紙は未だにGUNS N’ ROSESだし、何十年も前から変わっていない。

ヤ○グギターに至ってはヤングっぽさが全く無い。おじさんギターになっている。

日本の代表的なメタル評論家に伊藤政則(通称セーソク)がいる。彼は日本にメタルという音楽を広めた人間である。彼は昔からラジオの番組を持っていて、昔の人は彼のラジオでバンド情報を得ていた。

しかし現在では昔のバンドの曲ばかりを流しているように感じるため、現代に寄り添った音楽を流しているとは思えない(ここは僕の主観になります)。

メタル=おじさん文化としての側面ばかりが広まり、懐古主義が強く、ライトユーザーは新しいものを自主的に求めなくなっている。

小さなメディア等は新しいメタルを布教しようとしているが、基本的に音楽メディア全体として懐古的な商業を展開している現状にも問題があると考えている。

一般層との接近を考えるのであれば、矢張り資本が大事になってくる。

しかしながら、現代の日本の土壌ではレーベルそのものが弱く、自身での完成度を高めようとした場合はそれなりのエンタメ性が求められる。

結果として資本がより必要となってくる場合がある。

商業で展開するにはメジャーなものを紹介するべきなのは理解できるが、結果としてメタルの衰退を招いてしまった現状は負のスパイラルと言ってもいい。凄惨な皮肉とも取れる。

 

サウンドハウス

希望を持て!メタルはまだ死んでいない。

メタルの衰退については上記で書かせていただいたが、メタル復興について全く希望が無いわけではない。

BABY METALなどは知名度が高く世間でもメタルの枠組みを越えて人気である。

DIR EN GREY、GALNERYUSなども根強く活動をしている。アングラな場所で頑張っているバンドだって勿論たくさんいる。人口が減り、生息域の減少などが危ぶまれていますが、地下深くで時を待っています。

文字の読めないメタルTシャツ、長い髪の毛や伸ばした髭、怪しい黒尽くめの集団を見かけたらそっと応援してあげてください。彼らは弱き生き物です。マッシュヘアーの視界不明瞭なバンドマンや、愛だの恋だのを歌っているメンヘラバンドマンより弱いです。そっと応援して上げてください。

鋼鉄の誓いを結ぶまで……。

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