■はじめに
19世紀末から20世紀初旬にアメリカのニューオーリンズでジャズが誕生した、と言われています。
奇しくも時期を同じくして、それまではシンバル、小太鼓、大太鼓など個別の打楽器として
演奏していたものを、複合した「ドラムセット」が誕生します。
(一説によると、ある黒人の打楽器奏者が「3パート分同時に演奏するから3人分のギャラをおくれ」
と言ったのが始まりだったようです)
今回はジャズドラム界の巨匠、レジェンド3大ドラマーを解説したいと思います。
「アートブレイキーは?」「パパ・ジョーンズ知らないの」「ルイ・ベルソンを忘れてる?」と
思ったみなさま、申し訳ない。
今回は私の独断と偏見で3大ドラマーを選出しています(異論は認める)
私はトニー・ウィリアムスもフィリー・ジョー・ジョーンズも大好きですが、今回はご勘弁を。
■バディ・リッチ
(バディ・リッチ:IMPOSSIBLE DRUM SOLO)
最初にご紹介をさせていただきますのは、バーナード・”バディ”・リッチですね。
アメリカのニューヨークにて1917年9月30日に生誕しました。
ヴォードヴィリアンと呼ばれるショービジネスを生業にした両親のもとに生まれ
1歳からスティックを持ち、1歳半ですでに舞台で演奏し(ほんまか?)、
11歳の時にはバンドリーダーとして活躍をされていたようです。
みなさま、バディ・リッチ氏の映像をご覧になられたことはありますか?
はい、いきなりラスボスの登場です笑。
1歳半ですでに舞台で演奏していた
というのも、妙に信憑性を帯びてきます。
とにかく速い・ダイナミクスレンジが広い・無尽蔵なアイデア。
そして正確無比かつ、ポケットもスウィング心得たもので、おまけに歌も上手い。
昔と比べて現在では、人間工学についても研究が進んでおり、
効率的なスティックワークとして「モーラー奏法」など提唱されていたり、
より複雑な手順やよりスピーディ、よりグルーヴィーなフレーズを競う
「DrumChops」の世界もより深まっているのですが、
1917年生まれのバディ・リッチがこの時点ですでに
新しいドラム理論やDrumChopsの世界を何故か理解しているかの如くなのですよね。
まあ、バディ・リッチの演奏を分析した結果が現在の先端なのかもしれませんがね、、。
まるで子供が考えた「ぼくのかんがえた、さいこうのどらまー」の如き存在。
それがバディ・リッチなのです。
■ジーン・クルーパー
(ジーン・クルーパー:Swing,Swing,Swing)
ジーン・クルーパーは1909年1月15日にアメリカのシカゴに9人兄妹の末っ子として生まれました。
幼少期からドラムに親しみ18歳ごろからプロとしての活動を開始します。
ドラムスを選んだのは
他の楽器に比べて安価だったことが理由だったそうです。
25歳のころ、かの有名な「ベニー・グッドマン楽団」に参加します。
クルーパーはベニー・グッドマン楽団にて多くの名演を残しますが、特に「シング・シング・シング」
での激しいドラムソロは、後世まで語り継がれるジーン・クルーパーの代名詞となります。
ドラマーとして一躍スターになっただけではなく、それまでは脇役に過ぎなかったドラムという
楽器に多くの人が注目するようになったのはジーン・クルーパーがきっかけでした。
また、クルーパーはルックスも整っていたためアイドル的な人気もありました。
グレン・ミラー物語などの映画にも出演されています。
同時期に活躍していたバディ・リッチとは約8歳クルーパーの方が年上でしたが、良き友人であり
ライバルでもありました。
多くのライブやレコーディングで共演し、バディ・リッチのお気に入り
レコードの中にはジーン・クルーパーとのドラムバトルもあったようです。
「ドラムってかっこいい」「ドラマーってかっこいい」を世の中に広めたスーパースター。
それがジーン・クルーパーです。
■エルヴィン・ジョーンズ
(エルヴィン・ジョーンズ:DRUM SOLO)
最後に紹介するのはジョン・コルトレーンのグループで活躍し、一躍有名になった
エルヴィン・ジョーンズです。
1927年9月9日にアメリカのミシガン州ポンティアックに生誕しました。
ピアニストのハンク・ジョーンズ、トランぺッターのサド・ジョーンズは実の兄弟で三兄弟の末弟です。
(すごい兄弟ですね)配偶者は日本人のケイコ・ジョーンズという方で、大の親日家でもありました。
世代的にはリッチやクルーパーと比べると一番若く、また名前が世に広く知られるようになるのも
30歳前後から、と上記の二人と比べるとやや遅咲きです。
エルヴィンについて、著名なジャズドラマーの大阪昌彦氏は下記のように語っています。
「エルヴィンはドラマーのみならず、多くのミュージシャンに影響を与えた。
なぜなら彼の独創的な演奏によって、ジャズは新しい局面を迎えることになったからだ」
これはどういうことかと言うと、
それまでジャズにおいてドラマーの役割は定型化されていたところがありました。
エルヴィンはその中で、ハイハットを一定のリズムで踏んだり、
レガートはかくあるべき、のような概念を否定するかのように、
四肢を組み合わせた自由度の高いパターンでうねりやハートビートを表現し、
ジャズの新しいステージを開く大きな役割を担ったと言えるでしょう。
リッチやクルーパーに比べて、世の中に認知されるのが遅かったのは、あまりにも革新的な
アプローチであったため理解が出来なかったから、ということも大きな要因だと思います。
筆者も実際にエルヴィンにお会いし、話をしたことがありますが、その巨体から繰り出される
リズムはまさに豪快なハートビートで、しなやかで高揚感のあるものであったことを覚えています。
「ドラムの持つ可能性を最大限に拡張した」「うねりやグルーヴという概念を世に広めた」
伝説的なドラマー、それがエルヴィン・ジョーンズです。
■さいごに
今回の記事はいかがでしたでしょうか。
誕生してまだ100年あまりのドラムという楽器ですが
世界には数々の伝説的なプレイヤーが存在します。
また、機会がございましたら色々なドラマーを
紹介させていただきたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。